2015年12月19日、20日の2日間、電気通信大学で開催された高専カンファレンス 100 in 東京の運営に、副実行委員長として参加しました。
実行委員長であるところのなっちゃんの夢これをご覧になられた方はわかるかと思いますが、LINEで捕まった人間です。
会場ではウェイ系でしたが、ブログはしっとり系でいきます。
当日までの準備で言えば、ミーティングの議事録はもっぱら僕が担当していました。また、スタッフ間のコミュニケーションにはSlackを使用したのですが、そのSlackの準備をしました。公式wikiの更新も、ある時期までは僕が行っていました。副実行委員長らしい仕事といえばそれくらいです。
アイスブレイク担当としては、どのような企画を行うかの決定、タイムテーブル作成、当日説明用スライド作成、台本作成、部屋割り作成、当日の司会を行いました。
当日行ったアイスブレイク以外の仕事は、1日目はクロージングトーク、2日目は複数トラック発表の補佐、基調講演・LTの司会と銅鑼です。
夢これの発表中にあったあのLINEのやり取りは、6月10日でした。そこから6ヶ月かけて様々な準備をしてきました。まずは、とりあえず目標としていた新春カンファレンスの実行委員長のひとり、RooandQooさんにアタックして新春カンファレンスの記録を頂きました。そのあとでスタッフを集め始めたりと、いろいろ動き始めました。
キックオフミーティングは8月11日に行われました。それから6回のミーティングをして、当日を迎えたわけです。
言い出しっぺのなっちゃんは強い信念というか、目標というか、思想を持っていました。おびなたさんに話してもらいたいというのもそうですし、アイスブレイクで打ち解けてもらいたいというのもそうです。僕はそのような思想を持ちあわせていない代わりに、その意見が実現可能であるか、困難であれば何から解決していくか、などの相談役として方向修正をするという役目でした。ごく初期は。スタッフが増えていくにつれ、そういった僕の役目は消失していきました。
例えば今回は電気通信大学で開催しましたが、手っ取り早く広い場所を借りる(回線も用意する)ならある企業のスペースを使わせてもらったほうがいいのではないかと思っていました。また2日間開催も当初は反対していました。 そこで「いや、電通大でやりたい」「2日間開催したい」という委員長の強い意志には何度も感心というか、尊敬というか、力を感じました。そしてそれは間違っていなかったと思います。
共有Dropboxのファイル更新通知のたびに上がってくる素晴らしいデザインを見るたび、カンファが形になっていくように感じられ、焦り、緊張、期待が大きくなっていくのを感じました。
僕がメインとなって担当したアイスブレイクの話をしていこうと思います。
アイスブレイクは、様々な事情(後述)により、本格的に動き始めたのは11月25日頃です。この時点で開催1ヶ月を切っています。絶対に真似しないでください。
実行委員長が「200人参加申請なかったらカンファ行かない」という旨の発言を前日にしていました。この時期(11月終盤)の参加者登録は確か150人程度で、僕はまさか200人もいかないだろうと思いつつも、アイスブレイクで許容できる人数の上限を200人としました。 結果的に参加申し込みは200を超え、1日目の参加者も141人と、まさかこうなるとは、という感じでした。
その後、アイスブレイク班(なっちゃん、僕、くりむぞんさん)のみでミーティングを重ね、最終的にアイスブレイクの全体が決定したのは12月9日(開催10日前)、当日使用する全ての物品の用意が完了したのは12月19日(開催当日)でした。絶対に真似しないでください。
僕がアイスブレイクで目標としたのは、「なるべく多くの人と、がいいけど、最低1人、できれば2人の人と打ち解けてもらうことを目指す」ということです。
大きな開催となり、全国津々浦々から人が集まります。高専カンファレンス100の懇親を支える技術 - Labo Memoにある全国高専マップには、日本の北から南まで付箋が貼られています。 となると、twitterでフォローしてるけど会ったことがない人、twitterで見たことはあるけど会話はしたことがない人、初対面の人、などなど、コミュニケーションを行うのに壁を超えなければいけない人がたくさん居ます。 その壁を取り除き、顔とアカウント名を一致させたり、新たなフォロワーを増やしたりする、打ち解け合いのお手伝いをしたかったのです。
そして必ずやりたかったことは、「ものをつくる」ことです。その場で初めて会う人とも、「共にひとつのものを作り上げる」という体験を共有できれば、きっと壁はなくなるでしょう。それに、話をして「はい、終わり」では、あまりにも寂しすぎます。
そのためにどうするべきかというのは、短い時間ながらも様々な案を出しあい、これはどうか、これで本当に会話が広がるのか、と何度も検討を重ねました。そもそも200人全員で何かをするのは無理があるのはわかりきったことですが、それを4つの部屋に分けるとして、その部屋の中ではどうするのか。50人で何かをするのか。その50人も分けるのか。分けた後、最後に合わさるのか。様々なパターンが存在しました。その中のどれを選択すれば、参加者間の壁は無くなるのか。かつ、時間、空間、予算の釣り合いが取れるのはどこか。
それらのアイデアと、制約の中で生まれたアイスブレイクが、当日みなさんの体験したものとなります。
僕の担当した202教室では、参加者同士の話し声、笑い声が絶えないよい雰囲気、望んでいた雰囲気を作り出すことができました。
前述の通り、アイスブレイクの物品の用意が完了したのが当日早朝だったということもあり、各部屋の司会、補佐それぞれには事前にスライドと台本を読んでもらうという、リハーサル全く無しのぶっつけ本番で挑んでもらうことになってしまいました。その結果として、最強人間を作ることができなかった部屋もありました。
冒頭でSNSを禁止したこともあり、アイスブレイク中の感想はあまりtwitterからは拾うことができませんでした。それでもアイスブレイク終了後、「楽しかった」というツイートがいくつかあり、とても嬉しかったです。
スタッフルームに帰ってきた後も、他のスタッフから良かったという言葉を聞くたびに、くずおれるかと思いました。
司会業ですが、僕は完全に経験で殴ったようなもので、他の部屋の様子がまったく予想できませんでしたが、感想ツイートからはうまくいったようです。ありがとうございました。
アイスブレイクの成果物(伝説巻物、最強人間)は、懇親会の会場に掲示しました。懇親会の最中は僕は完全にテンションがおかしくなってしまい、それらを掲示したことへの反応を伺うのをすっかり忘れていました。どうだったでしょうか。他の部屋、チームの伝説や最強は、思いもよらないものがいくつもあって、とても面白かったです。
ところで、このカンファのスタッフは17名とwikiには書いてあります。しかし、こまめにwikiをチェックしていた方がいれば覚えていらっしゃるかもしれませんが、実はもう1人スタッフがいた時期があります。mktakuya君です。
当初はmktakuya君がアイスブレイクの企画担当でしたが、どうしても当日に来ることができなくなってしまい、やむなくアイスブレイクの担当を僕へと移すことになりました。これがアイスブレイクの準備開始が遅れた原因です。
彼がアイスブレイクの担当であれば、また違った高専カンファになっていたことでしょう。
200.times do
puts "#{%w(101 102 201 202).sample} #{%w(A B C D).sample} #{%w(1 2 3 4).sample}"
end
値はそのまま採用したわけではなく、各部屋、各グループの人数が均等になるよう調整しました。
スタッフ間のコミュニケーションツールとして採用したのはSlackですが、初期にはidobataも検討していました。Slackを採用した理由、idobataを採用しなかった理由は特に覚えていないので、どちらを使ってもコミュニケーションには支障がなかったと思います。
アイスブレイク担当者のみで行った小規模なミーティングを除く、全てのミーティングは計7回行われましたが、その全てがピクシブ株式会社で行われました。ピクシブ株式会社様、ありがとうございます。
スタッフパーカーは、TMIXで発注しました。とは言え、これについてはスポンサードしていただいたわけではなく、希望者各自が自腹で購入するという形式になっています。
今回のテーマは「Dreaming」ですが、案の中に「new daybreak」というものがありました。僕はこれが好きです。(言葉の響きが好きなだけで、テーマにしたかったわけではないです)
湯河原温泉「おんやど恵」の足湯フログラミングは開発合宿の新しいスタンダードになる - スパイスな人生
開催前日の18日まで、TMIXの開発合宿に参加していました。合宿中、僕がアイスブレイクの準備を行っている横であそなすさんがサブスクリーンをもりもり開発していくという、ある意味高専カンファレンス合宿とも言える時間が存在しました。 会議室が24時間使えるというのは本当にありがたかったです。
18日は宿泊用の荷物を持って移動を繰り返し、泊める約束をした肉好き君を迎えに行ったりして、前日の時点で脚がつらかったですが、1日目で崩壊しました。
ご確認ください。
2日目はとにかく脚がつらかったです。体調で言うなら、1日目のアイスブレイクでやらかしたのか、ずっと喉が痛くて、1日目の帰りに龍角散のど飴を買ってずっと舐め続けるという緊急対応をしました。2日目には90%くらい回復していました。
とにかく、高専カンファレンス100 in 東京は終わりました。皆さんには楽しんでいただけたようで、こちらも嬉しいです。
参加者の皆様、お忙しい中お越しいただき、ありがとうございます。発表者の皆様、素敵で、面白い発表をありがとうございます。
スタッフの皆さん。個人の都合もあることでしょうが、そのような貴重な時間を、高専カンファの成功のために費やしていただき、ありがとうございます。素敵なデザインも、快適な回線も、打ち解け会えたアイスブレイクも、楽しい様々な発表も、目移りする複数トラック発表も、横で盛り上げるサブスクリーンも、しっかりしたtwitterアカウントの運用も、当日用意する様々な物品も、それら全てをまとめ上げ、高専カンファレンスを成功へと導いてくれたリーダーシップも、心から感謝しています。
「最初から3桁のナンバリングにしていてよかった」という意見がありますが、「最初に4桁のナンバリングにしておけばよかった」と嘆く日がいつか来るかもしれませんね。